2016-04-19 第190回国会 参議院 内閣委員会 第11号
島には美しいツバキが自生し、古くは遣唐使が往来するなど大陸文化との交流拠点でもありました。また、遠洋漁業や捕鯨の一大拠点として栄えた時期もありました。 現在は、人口減少、高齢化が進む中で、五島市は雇用を生む島づくりを掲げ、地場産業の育成、五島ブランド、特産品の振興に取り組んでおられます。ツバキ油、あるいはマグロ養殖、タカナやブロッコリーなどの野菜、五島牛などに力を入れておられました。
島には美しいツバキが自生し、古くは遣唐使が往来するなど大陸文化との交流拠点でもありました。また、遠洋漁業や捕鯨の一大拠点として栄えた時期もありました。 現在は、人口減少、高齢化が進む中で、五島市は雇用を生む島づくりを掲げ、地場産業の育成、五島ブランド、特産品の振興に取り組んでおられます。ツバキ油、あるいはマグロ養殖、タカナやブロッコリーなどの野菜、五島牛などに力を入れておられました。
先ほど武家の終えんのとおっしゃっていただきましたけれども、正に武家の社会がここから始まるということでありまして、それまで大陸文化を中心とした中世の文化から、しかも西の文化から、東西、東の庶民、それから農民、武士、こういった人たち、庶民といったものが加わって、東西が大きな歴史の輪の中に入っていったという意味で極めて大きいことでありますし、しかも鎌倉新仏教ということが次々と興ってまいりまして、その後の我
まさに日本の歴史をひもといていく歴史教育の中で、日本というのは大陸文化そして韓半島の文化というものをどう取り入れ、そしてそれを日本文化として同化してきたか、そんなところまで修学旅行という学習機会を通ずることができれば学ぶことができる、そんなところだと思います。 また、地場産業の大きな基盤として観光というところがあります。
大分県は古くから「豊の国」と呼ばれ、瀬戸内海を通じて中央文化を、また北九州を経て大陸文化を吸収し、我が国の歴史の中で大きな役割を果たしてまいりました。 我が武蔵町は、大分県の東北部、石仏の顔のように突き出した国東半島の東部に位置し、その昔、六郷満山霊場としていにしえの仏教文化が花開いたところでございます。
私も学校教育の過程で教えてもらった記憶がないのでありますけれども、これは韓国文化あるいは大陸文化の日本への伝播という点で大変な役割を果たしたわけですね。ですから、この辺の学校教育を大いに変えていただくということが必要なんではないかというような感じがします。
歴史の学習指導要領、日本史で申し上げますと、これは高等学校の場合でございますが、「日本文化の黎明」とか、「大陸文化の摂取と文化の国風化」と、これは表題でございますが、やはり「日本文化の黎明」というところで、これは中学校につきましてもそうでございますけれども、日本書紀や古事記等の扱いもございますけれども、先生御案内の、倭の国の五王というのがございますが、そういうふうなものの扱いも教科書の中には触れておるところでございます
古代の大陸文化流入の門戸であった太宰府を中心にして文化財が多いわけですけれども、この文化財がせっかく発掘されても、結局それは京都とか奈良とかにいってしまって、九州の文化財は九州で保存するということで久留米にできましたけれども、やはり調査活動は、また研究活動は、奈良の国立文化財研究所と同じようなものを九州にもつくっていただきたい。
○森勝治君 それでは、重ねてお伺いいたしますが、何と言っても、私どもの国土は、大陸文化の影響を受けていますね。特に顕著に受けていますし、したがって、先般も話題になりました北朝鮮等のこの種のものについて、やや類似したものが出てくるという話がありますね。これは、もうわれわれの先祖が非常に大陸文化の影響を顕著に受けたという一つの事例を示すものです。
○内田善利君 最後に、九州の教育委員長協議会から要望が行っておると思いますけれども、九州は、古来、大陸文化の流入の拠点であったし、古いわが国の文化発達の時代の中心地域であったわけであります。
特に、沖繩というものは大陸文化との中継地でございますし、また、これは日本本島にも持たないいろんなものを持っておりますし、そういう意味では古代からの民族文化の交流の接点でもある。これは非常にいいものが残っておりますので、そういうものをこの機会に催し、国際的に見てもらう。
こういうものが発掘によって出てまいりましたが、最初の年に掘りましたときには、そういう大陸文化の影響というものが書紀なんかにあらわれておる、そういう大陸文化の影響というものを非常に強く感じたわけであります。 ところが、その翌年になりまして塔の心礎の礎石を発掘いたしました。
ということも書いてありますし、第二の「古代文化の形成と展開」という点については、「国家の統一と大陸文化の摂取」とか、こういうことも書いてあるので、私は非常に豊かな学習指導要領であると思っています。これ悪いとは思いません。 それで、この豊田正二郎空尉の論文を読んでみますと、この論文は三つの部分に分かれています。第一は、筆者の歴史観です。第二は、学生に対する歴史教育のあり方です。
この時代は、日本が、仏教をはじめとする大陸文化を受け入れて、聖徳太子の施政、大化の改新、壬申の乱を経まして、大宝律令の制定に象徴される律令国家の基礎を築いたというところの地域でございます。この地域には日本古代史の根幹に関係した遺跡が数多く残されております。
京都の機織りの歴史は、それよりもさらに数百年古く、飛鳥時代に大陸文化を移入いたしました際に日本に伝えられたものだといわれておりますが、日本の工業の発祥といたしまして京都の産業となったものでございます。特に平安朝以降、朝廷あるいは幕府の保護を受けまして、今日に至るまで一貫して最高級の絹織物産地といたしまして、その地位を他に譲ったことはございません。
ちょっと長くなりますが、申し上げますと、歴史の扱いで、「大和朝廷の成立、大陸文化の摂取、大化の改新による政治の改革と国家組織の確立、飛鳥、奈良、平安などの文化の発展などに尽くした人物の業績について理解し、すぐれた文化遺産や人物のはたらきを中心として」というところに「文化遺産」ということばが入っております。
○小林武君 もう少ししっかりしてもらいたいと思うのですね、高校の四一ページ、中学は三三ページ、指導要領のそこに、「古代国家の形成と大陸文化の摂取」というところがある。「国家の成立」、これは高等学校の木にも書いてある。中学のほうには三三ページに、「日本の古代とアジア」、「国家の形成とアジア」と番いてある、だから、そのことは日本の国の成り立ちと関係があるでしょう。そこではっきり教えなきゃならぬ。
また、高等学校、日本史の解説書の中には、「古代国家の形成と大陸文化の摂取」の中の「律令体制の成立」の項で、「記紀の神話、伝承などは、この項で取り上げることが望ましい。たとえば、記紀の構成は、統一国家の形成過程における天皇や貴族の勢力を反映した面を持っており、そうした歴史的条件をも考慮しての指導がふさわしいと思われる。この際、最近の字間的成果をじゅうぶん考慮することは言うまでもない。」
「日本の古代とアジア」、「国家の形成とアジア」、「大化の改新と律令制」、「奈良・平安時代の政治と日本文化の形成」、そこの叙述の中に、「大和朝廷、古墳文化、氏姓制度、大陸文化の伝来、」云々、「学習を通して、わが国がアジアの形勢と密接な関連をもちながら統一に向かい、大陸の影響を受けながら国の文化を発展させていったことを理解させる。」
仏教が初めて伝来し、大陸文化が日本の国を席巻するという混乱の時期もありました。また、黒船が来航して、西欧の物質文明に周章ろうばいした時期もあったのであります。これらの難局に臨みまして、われわれの祖先は、あるいは大化の改新を断行し、また明治の維新をなし遂げて、民族興隆の転機をつくり上げたのであります。(拍手) 歴史はめぐりめぐって、現在同じような問題の前に立たされておるのであります。
さらにそれの北の方には中国という先進文化国家がありまして、そこから文化が入るのでありますけれども、しかし、日本民族というものは、すでに縄文時代から文化を持っておりまして、受け入れ態勢を始終作っておいては、大陸文化の方を吸収してそれを自分のものにして、さらに進んでまた新しい文化を作る、そういう国民性を持っておりますので、平城宮の保護ということを申しますのは、奈良文化を生みましたところにある重要な遺跡であるということで
十干十二支もずっと後に大陸文化として入って来たものだったのですから、このような怪しげな根拠によって建国記念日とすることは、衆議院の名誉と威信とに対し影響なしというわけにはいかないでしょう。
古くは武帝の楽浪四部の設置以来ずっと百済を通じて盛んに大陸文化を輸入しまして、まず一番最初に影響を与えましたのは、楽浪文化でありまして、大陸文化の影響があったということは何人も否定できない。またむしろ逆に申しますれば、日本人はそういったような、どんどん大陸の文化を取り入れるといったような積極的な面も持っておったと思うのです。